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ナイスガイ松井秀喜がこだわった米国大リーグでの最終日

私は、野球はテレビでたまに見るくらいだが、元大リーガー松井秀喜氏(以下、松井)のファンである。かれこれ10年のファン歴になる。特に、ここ数年、松井に関する記事には必ず目を通してきた。スポーツとは無縁の家庭に育った私にとって、野球は決してなじみのあるものではなかった。しかし、医学・生命科学という国際グローバル化した領域で仕事をしてきたため、米国大リーグで活躍する日本人にはどうしても目が向く。

1998年に、私が米国から帰国すると目に入ってきたのが松井である。松井は高校時代の大会で5打席連続敬遠され頭角を現し、プロ入り後は巨人の4番打者として本塁打王など数多くのタイトルを獲得した野球選手である。この成績以上に私を引きつけたのは、彼の人間性が高く評価されていたことにある。常に周囲に丁寧な対応をする人物であった。2002年には米国大リーグ随一の球団であるニューヨーク・ヤンキースへの移籍が実現する。渡米した松井はその後も私たちの期待を裏切ることなく、ヤンキースでも主軸打者として活躍する。そして、2009年には、ヤンキースを9年ぶりに世界一に導き、その功績からワールドシリーズ最優秀選手に選ばれた。しかし、この絶頂期が衰退の始まりでもあった。

2009年末、ヤンキースは松井の能力がすでに下り坂とみて再契約をしなかった。このとき、複数の日本球団が高額で松井との契約を申し出ていた。野球は素人の私から見ても、日本に帰るのが得策と判断できた。しかし、松井は一貫して大リーグでのプレーを選択した。私は、そこに自らの限界に挑戦する野球選手としての忠誠を感じた。そして3つの大リーグ球団を一年ずつ渡り歩き、2012年7月に所属球団から戦力外通告される。

その後、私は短報記事で“松井の去就について何も決まっていない”と見かけるたびに、
「松井はどうするんだろう?」とぼやく日々が何度も続いた。
「どうしてそんなに気になるの?」という周囲の声には、
「松井の大ファンだから」と胸を張って答えた。
「大ファンって、そんなに松井の試合を観てないでしょう?」とたたみかけられると、
「松井は野球の領域を超えた国の英雄だから」とさらに胸を張って答えた。

結局、2012年末に松井は引退を表明した。噂されていた国内復帰はなかった。大リーグの第一線で通用しなくなったら即、引退という潔さにも敬服した。そして、2013年7月28日に、ヤンキースに1日だけ復帰して引退セレモニーが行われる。3年前の所属球団がこのような式典を開くのは破格の扱いである。

成功者は自らが信じたことをやり続ける。たとえ、それが損に見える選択であっても。多くの人が松井のように信念を持って事を行い、潔い引き際ができれば、どのような苦境も好転させることができるだろう。